被災地のみなさまへ心よりお見舞い申し上げます。
復興への一歩一歩を、微力ながらも応援していきたいと思います。
大震災に、言うべき言葉が見つからず
手つかずの日記からさらに遠ざかっていましたが、覚えていることを記録します。
午前中は児童館の絵本読み聞かせの会に行っていました。
帰りの自転車で眠ってしまったタッコロの遅い昼食が終わったあと。14:46。
食器洗いが終わるかな、というところでした。
あ、地震だ。
タッコロをすぐさま抱き上げて揺れが治まるのを待とうとしたのですが、治まるどころか家全体が揺さぶられる大きな横揺れが始まり、慌ててリビングの窓を開けてその窓口に座り込みました。今考えると窓ガラスが割れる恐れもありましたが、棚から飛来物の無いポイントで家が倒壊しそうならすぐさま逃げられる場所だとの判断です。
幸い我が家は地震対策と経費節約で全てシーリングタイプの電灯だし、突っ張りタイプの棚を使用し、さらに棚が倒れても途中で壁などにひっかかるような配置にしています。そして100均とは言え耐震ジェルを大方の家電に仕込んでいます。
しかし危険な箇所をひとつ発見。食器棚の扉が開いている!
食器がカタカタと音をたてているのを聞いて、揺れのなかトトトトと小走りで閉めに走りました。引き戸タイプの扉を閉めたとたん、食器が落ちて扉と棚の間にひっかかて止まって間一髪セーフ。ここで割れていたら精神的ショックがかなり大きかったと思います。
すぐさま窓口に戻り揺れが治まるのを待ちましたが、本当に長かった。
この家大丈夫か?とグワシャグワシャと揺れる天井を何度も何度も見つめました。
外を見渡しても同じように揺れる家々、電信柱、波打つような地面。
現実のこととはとても思えない光景でした。
やっと揺れが治まってまず思うのは「ついに東海地震か!?」となる静岡出身の私。
ところがテレビをつけても映らない。テレビ局もやられてしまったのかと思ってラジオをつけると「大津波警報です、高台に逃げてください」と必死の声が。どこだ!?と驚いていると「宮城」の単語が飛び込んできて、東海地震ではないということがわかりました。でも単語だけでは何処かわからない。
再度テレビのチャンネルをまわすとTBSだけがかろうじて映りましたが、最初はものすごい乱れた映像で声もなかなか入らなかったので、ラジオとテレビを両方つけっぱなしにすることに。
災害の時に切実に欲しいのは「情報」なんだな、と痛感しました。
しかし落ち着く間もなく大きな揺れがまた始まり、窓口でタッコロを抱きしめ続けました。終わったかと思うとまた揺れての繰り返し。永遠に続くのかと思うほど一向に落ち着きませんでした。時計を見る余裕が出た時は最初の地震から2時間くらい経っていたようです。時間の感覚なんてありませんでした。
揺れるたびに「これは余震です。本震よりも大きいことはありません。落ち着いてください」と言ってくれるラジオからの声がとても心強かったです。これには心からお礼を言いたいです。
そしてパパころも地震が起きてわりとすぐに安否確認の電話を入れてくれました(家が倒壊したと思ったらしい)。今考えると凄いことですね。お互い無事だとわかったことも心を強くもてたひとつだと思います。ありがとう。
昔はミシッと揺れただけで心臓が脈打つほど怖かった地震ですが、一年ちょっと前の静岡での大きな揺れを体感したからか、守るべきものが腕の中にいたからか、私にしては冷静に行動できたと思います。
ちゃんと出口を確保して、外に飛び出さないで様子を見れたこと。
揺れの合間を見計らってガスの元栓を閉めたこと。
タッコロに防寒防災用にジャケットを着せ、非常用リュックと靴を用意していつでも逃げれるようにしていたこと。
夜になってからですが自分でガスメーターの復旧を出来たこと。
タッコロを寝かせてからも起こる余震のたびに傍らに駆け寄って守る態勢でいたこと。
もちろん地震は怖かったけれどそれ以上に、やるべきことは何かと頭を巡らせる自分がいました。感じている暇がなかっただけだと思うけど、心臓は脈打ってなかった気がする。頑張ったね、自分。
パパころは職場から6時間以上かけて徒歩で帰宅しました。偉業です。
無事で本当に何よりです(>_<)そしてお疲れ様でした。
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